京都造形艺术大学
Kyoto University of Art and Design
学校简介
学校校区
- 京都市左京区北白川瓜生山2-116
学校图片
- 1934年(昭和9年) - 藤川延子が藤川洋裁研究所創設
- 1947年(昭和22年) - 財団法人藤川衣服研究所認可(京都府公認)
- 1948年(昭和23年) - 藤川女子専門學院に名称変更
- 1951年(昭和26年) - 学校法人の認可
- 1959年(昭和34年) - 学校名を藤川服飾学院に、学校法人名を藤川学園に改称
- 1964年(昭和39年) - 藤川デザイン研究所設立
- 1967年(昭和42年) - 藤川デザイン研究所を藤川デザイン学院に変更
- 1975年(昭和50年) - 藤川服飾学院を京都服飾芸術学院に、藤川デザイン学院を京都造形芸術学院に改称
- 1977年(昭和52年) -京都芸術短期大学開学(造形芸術学科)。京都服飾芸術学院、京都造形芸術学院を廃止
- 1979年(昭和54年) - 学校法人名を学校法人瓜生山学園に変更。専攻科を設置(「学士」の学位が取得可能になった)
- 1991年(平成3年) -京都造形芸術大学開学(芸術学部芸術学科、美術科、デザイン科)
- 1996年(平成8年) - 大学院芸術研究科(修士課程)開設
- 1998年(平成10年) - 通信教育部(芸術学部)3学科8コース設置
- 2000年(平成12年) - 京都造形芸術大学と京都芸術短期大学を統合・再編(芸術学部芸術文化学科、歴史遺産学科、映像・舞台芸術学科、美術・工芸学科、空間演出デザイン学科、情報デザイン学科、環境デザイン学科となる)。大学院の修士課程を芸術文化研究専攻、芸術表現専攻に再編。大学院に芸術専攻(博士課程)設置
- 2001年(平成13年) - 東京都中央区人形町に東京サテライトキャンパス開設(通信教育部のスクーリング拠点)。京都芸術劇場を開設。京都芸術短期大学廃止認可
- 2002年(平成14年) - 通信教育部(芸術学部)を3学科11コースへ改組
- 2003年(平成15年) - 通信教育部(芸術学部)を3学科12コースへ改組
- 2004年(平成16年) - 芸術学部の芸術文化学科を芸術表現・アートプロデュース学科に改組。通信教育部芸術学部の3学科11コースを3学科12コースに改組
- 2005年(平成17年) - 大学院の研究領域として小学校就学前幼児教育機関であるこども芸術大学設置。康耀堂美術館が寄贈され京都造形芸術大学附属康耀堂美術館となる
- 2006年(平成18年) - 芸術学部の芸術学科、美術科、デザイン科を廃止
- 2007年(平成19年) - 芸術学部に映画学科、舞台芸術学科、こども芸術学科、キャラクターデザイン学科を設置、映像・舞台芸術学科を学生募集停止、美術・工芸学科を美術工芸学科に改称し10学科29コースとなる。通信教育部大学院芸術研究科芸術環境専攻(修士課程)を設置。社会芸術総合研究所を開設
- 2009年(平成21年) - 10学科29コースを10学科31コースへ改組。通信教育部(芸術学部)の3学科12コースを3学科13コースへ改組
- 2010年(平成22年) - 東京都港区北青山(神宮外苑)に外苑キャンパスを開設(東京サテライトを移転)
- 2011年(平成23年) - 芸術学部に文芸表現学科、プロダクトデザイン学科、マンガ学科を設置し、10学科31コースから13学科34コースへ改組。通信教育部芸術学部の3学科13コースを3学科14コースへ改組
- 2013年(平成25年) - 芸術学部映像・舞台芸術学科を廃止し13学科34コースを13学科21コースに改組。通信教育部(芸術学部)に芸術教養学科を設置し、4学科13コースになる。京都国際観光文化学院と法人統合(京都芸術デザイン専門学校、京都文化日本語学校が併設校となる)
- 2014年(平成26年) - 芸術表現・アートプロデュース学科をアートプロデュース学科に改称。芸術教養センターを創造学習センターに改称。京都造形芸術大学創立者・徳山詳直が永眠(10月20日)
- 2015年(平成27年) - 大学院芸術研究科芸術文化専攻(修士課程)、芸術表現専攻(修士課程)を芸術専攻(修士課程)に改組。島根ものづくりセンターを島根県松江市に開設
- 2017年(平成29年) - 芸術学部13学科21コースを13学科22コースへ改組
- 2018年(平成30年) - 芸術学部13学科22コースを13学科23コースへ改組
- 2019年(平成31年) - 京都造形芸術大学附属高等学校を開校(予定)
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鲈鱼同学女子美术大学、大阪艺术大学、京都造形艺术大学
我是国内休学来的日本,一开始父母非常反对我的这一决定,但是渐渐的还是被我的决心给说服了。在国内读大学的时候,做作品受到老师的干预相对较多。那个时候刚好身边有同学和朋友来了日本,听说日本的美术大学教育会更注重表现,以及学生的个人创造能力,所以我就选择来了日本。 东京美术塾的老师一直在非常有耐心的督促我准备考学,有了他们我才能够在疫情期间也不懈怠的准备。而且老师们总是能非常及时的向我们传达考学相关信息,节省了自己去确认的时间。而且一个人在外国,经常会有很多不安的地方,东京美术塾的老师们一直都会倾听我们的各种需求,为我消解了这些不安,尤其要感谢卢老师在这段时间对我的关照。
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王同学日本大学(艺术学部)、京都造形艺术大学
对我来说,私塾对我最大的作用,首先是帮我更好地梳理了研究计划书的思维架构,“在这两年里你到底要研究什么?”如何去准备清晰地传达给教授们,刚开始写的时候,我受到前一个老师的影响,为了应试写了自己的并不想做的研究计划。后来来了以后,才发现所有行业内能有一定的成果的人,都是把自己所擅长的事情做到了极致,不管你是什么风格的,做自己擅长的,和自己真正想做的,才是使自己进步最快的。所以不必为了迎合老师特意做自己不想做的事情,而是把自己该做的做好了以后,带着自信去告诉教授你真实的想法,没有人会拒绝真诚的人的。 其次就是,塾在选择教授和专业上给了我很多建议与介绍。老师们根据我的研究方向和作品,也为我推荐了更适合的教授,更加地明确自己的目标。除去专业老师,其他的老师为我们的出愿真的是尽心尽力,小论文的一次次单独辅导,口语的一次次模拟面试,我最后的合格,感觉真的不是我自己的实力所致,而是在很多很多老师的帮助下,才能拥有一个好的成绩。
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李同学京都造形艺术大学
虽然在来日本之前就有通过线上课程准备了一段时间,但是刚来日本的时候口语是真的差!那个时候一句简单的话都说不明白。前期考试自然就落榜了。消沉了一段时间后,开始总结为什么会落榜,原因什么的。发现比起日语问题,自己研究方向的问题更大。前期的研究计划书写的很大概,因为那个时候我自己都不知道未来具体要做一个怎样的设计,怎样的研究,更别说教授了。当然这些问题自然而然的就会反映到研究计划书上。 意识到这个问题后,就开始审视自己的研究方向,审视自己为什么来日本。就这样无限的审视的过程中自己的方向也变得越来越清晰了。然后后期考试为了让教授彻底的知道我修士两年到底要做怎么样的研究,怎么样的设计,开始查阅了很多资料同时做了一系列的空间模型,解释研究方向的展板。最后我拿着3个模型,8张展板和自信去参加考试。很顺利的带着笑容从考场出来了。